研究者
佐藤友美子さんには縁があってエルニのトライアルをお願いしました。
彼女は実は名だたる企業でキャリアを積まれた研究者。お会いすると驚くほど朗らかで、明るく、気さくな人。
ますます興味を持った私たちはお話を聞かせてもらうことにしました。
- 自己紹介からお願いします。
年齢は71歳もうすぐ72。学校卒業からから定年までサントリーに勤めていました。
入った時は秘書でしたが、1989年からサントリーが創立90周年事業で立ち上げた「サントリー不易流行研究所」というところの設立メンバーになり、課長、部長としてほぼ20年、調査研究に関わり、その後はサントリー文化財団に移りました。サントリーを退職してからは、現在理事をしている追手門学院大学で学生を教えていました。
「不易流行研究所」では、「生活の中の楽しみ」を切り口に生活、文化、都市の研究をしました。メンバーは全員サントリーの社員で、専門的な研究者はいない、という小さな研究所です。サントリーのDNAと言われる「やってみなはれ」の精神で、生活者の目線から、自由に研究ができました。アウトプットも出さなければいけないので、苦労もあったのですが、とても充実していました。
天下国家を論じるような立場ではないので、自分の関心事から研究すると自分の中で決めました。たとえば、共働きで忙しい中で家族のために何ができるか、を知りたいと家庭の年中行事について研究。次は世代間ギャップが気になり、調べた結果を「時代の気分、世代の気分」(NHKブックス)にまとめたり、計画的というより、目の前の課題と向き合う、という感じでやりました。
日本の家族のあり方が、変わりつつあるのを感じて、欧米やアジアの家庭を調べたこともあります。夫婦のあり方は何が違うのか、子どもの成長をどう促しているのか、制度はどうなっているのか等、悩んでいたことを研究したので、自分自身の生き方の参考にもなりました。
女性で自由に発言する人が少なかったこともあり、自治体や国の仕事も色々させていただき、色々な意味でとても勉強になりました。与えられたチャンスは最大限に活かしてね。(笑)
※今回の取材は今は閉店した元四川料理の店「好吃」をお借りして
25歳で結婚して、32と35のときに子どもを産みました。寿退社という言葉のある時代でしたが、入社してすぐに「定年まで会社にいよう」と自分の中で決めました。出世しようとか、ばりばりやろうというわけでなく普通に。男の人は結婚して、家庭を持って定年までいるよね。じゃあ女も当然できるよね、そういうのもありか、という位の感覚です。
母親は専業主婦で、いい旦那を見つければいいのよ(笑)という考え方。でも私は違うなと。誰かに期待したり、頼って生きていくのは無理なので、自分の生き方は自分で切り拓きたい、と思ったんです。
2008年に研究所が無くなり、サントリー文化財団に移りました。ラッキーなことに、それまでのキャリアを捨てることなく、文化人、学者と親しく接し、多くを学ぶことができた貴重な体験でした。
管理的な仕事が無くなり時間ができたので、やってきたことを本にまとめようと、地域のあり方を探る研究会の成果を「つながりのコミュニティ、人と地域が『生きる』かたち」に。成熟社会の行く末を知りたいと、上の世代の方に話を聞いた記録をヘルマンヘッセの言葉を借りて「成熟し、ひとはますます若くなる」という本にまとめたり。やりたいことをやるだけでなく、結果にすることにも、それなりに拘ってきたと思います。研究しっぱなしでは、調査先にも、会社にも申し訳ない、という律儀なところも実はありまして。(笑)
私は組織で働くのが向いていると。自分一人ではできないことができて、色々な人の意見が聞けて、本当に面白いって思ってました。一方で財団にはそもそも決まったミッションがあり、私の仕事は期待されていない、という自覚もありました。
そんなときに追手門学院大学で教えてみないか、と誘われて移りました。そこでまた研究所をつくったり(笑)。その研究所の名前が「成熟社会研究所」。そこではメンバーとワイワイやって、学生のアクティブ・ラーニングの補助教材のような岩波ジュニア新書「一人で思う、二人で語る、みんなで考える」を出したり、新たな出会いを楽しみました。昨年春、それも退任して、今は理事をしています。これが仕事の履歴かな。
- あっけらかんとした明るさ、そして柔らかさが印象的な佐藤さん。ばりばりのキャリアを積まれ、組織の中でご活躍されてきたことを感じさせないくらい。
組織ってある意味楽じゃないですか!私なんてお酒を1本も売ったことないのに組織の中で好きなことやらせてもらって(笑)儲けよう!残業しよう!!じゃなくって、やりたいことで、アウトプットが出せればいいなーって。
私の仕事は、社会的ニーズはあるか、社会の役に立つか、が判断基準。それに従って、やりたいことをやってきた。家族の姿にはとても関心があり、海外まで調べに行ったくらい。
女の人が働いて男性と対等に会社で仕事するってことが、当時は稀有だった。先を行っている国はどうしているのだろうかと。社会の体制、夫婦の関係、子どもとの関係等、7か国も調べに行ってしまったの。
自分の生き方が少し世の中より先行していたと思うので、私の悩みはみんなの悩みになるな、と不遜にも思っていたので。
- 仕事はご自身の生き方の参考にもなっていったのですね。でも根底にみんなのためになったらいいなという佐藤さんの思いを感じました。
佐藤さんがどんな方なのか分かったところで、エルニの下着についてお聞きかせください。
今回、ご縁があり、トライアルでNo.5 カーディガンを着ていただきました。受け取ったときの印象を教えていただけますか?
まず、素材と縫製がいいなと思った。中学高校の頃から母親の影響もあり自分の服を縫ったり、装苑とか買っていたから気になるところ。
くしゃくしゃっと小さくできる。ぴたっとしない。余裕もあるけどありすぎない。黒じゃない。黒だとはっきりしすぎて着づらい。いい色合いだなと思って。
で、すごくよかったから他のものを買おうと。No.1 タンクトップを買うとアンサンブルになるぞと。そのときにNo.3 スリップドレスも一緒に。その後また別の機会にNo.18 ナイトドレスを買いました。
※佐藤さんが着用されているエルニアイテムを持ってきていただきました。
- ご自身でご購入いただいたというアイテムはいかがですか?
No.3 スリップドレスはスカートのところいいですね。リネンで。軽い!
ナイトウエアは大きいサイズのものが好きで、パジャマはLサイズの大きいのを着ていて、ネグリジェってどうかな?と。試してみたかったんです。すごくよかったです。パンツは今のところ私には必要なくて。寝ていても裾があがってこないし。寒くなったら欲しくなるかも。
- 黒いナイトウエアってどうですか?
シーツを濃い鼠色のに変えてみて意外とよかったから、黒いネグリジェもいいなと思ったけれど、色のバリエーションがあるともっといいですね。
あとリネンの素材がいいです。綿とは全然違う。1回着だしたら綿に戻れなくなる。トートバッグの生地もすごくよくて!あんな色のネグリジェもいいなー。
No.1 タンクトップは、ちょうどいいあき。フィット感ありつつもゆるさもあって。そういうのになかなか出会えてなかったからよかったですね。これも自然な白のものをつくったらいいんじゃないのかしら?白いインナー着たい時ありますよね!?
いいものは色バリエーションあったほうがいいでしょ。自分が選ぶのは、鉄色とか、グリーン系、綺麗な色というより錆びた色とかくすんだ色なんだけど。
自分の選ぶ基準って人とは違っていたい。人と違わなきゃ嫌だみたいな。
必要があるから買うタイプじゃないのよね。旦那はまた物が増えたと、文句を言うんだけど。(笑)
※No.5 カーディガンを羽織っていただきました。
- その話の流れから、お聞きしたかったことがあるんです。
以前お会いした時に印象的だったことがあって、、、
佐藤さんが「夫が断捨離・断捨離というのだけど違うと思うのよね。これからが一番ものを買うのが楽しくなるところなのに!」とおっしゃってて、わたしもそういうふうに年を重ねていきたいと思ったんです。
「子どもが手を離れると、できるだけミニマムに整理していこうとしがちだけど、本当に好きなものやいいものを選び取るのって今からじゃない!!」と生き生きとお話されていたのがすごく素敵で。
ものを選ぶってどういうことですか?その中でもこと下着を選ぶってどうとらえていますか?
年をとると昔かっこよかったものが着れなくなるんですよ。身体のはりがなくなってきて。でもね、あきらめたくないんですよ。
- 素敵であろうとすることを大事にしているということですよね。
何があるか分からないじゃないですか(笑)いや何もなくていいんですけど、生きる気合ですよ。それが。
- そういう気持ちって子育て中はありましたか?子育て真っ最中の私自身はそういう気持ちが失われつつあるなと…。
よくわかりますその気持ち。毎日時間が無くて、それどころじゃない。でも何年かたてば、母親業は卒業することになる。そのとき、そのとき、大事だと思うことをしっかりして、次の段階に、脱皮していく、と。
折角、脱皮して、自由になったのに、何で終活とか断捨離なの?
食器とかも買いたいし、小じゃれたもの、ニュアンスのあるものが好き。高級なものを買いたいわけじゃなくて、手ごろな値段で自分の感性に合うものを買いたい。家ではまだ買うからねって宣言してるんですよ。
それぞれの世代に成熟ってあって、それぞれに成熟に向かっていくと思うけど、自由になった世代が、子どもに迷惑をかけないように断捨離とか、マイナス思考、必要あるのか、と気がついたの。
私ってそういう意味では欲望がある人だから、、、
夫は学生時代ヨット部で、結婚してからディンギーという小さなヨットに乗せてもらい、そこでクルーザーを見て、よし、いつか小さくてもキャビンのあるクルーザーを手に入れるぞと。会社の友だちに声をかけて、小さなクルーザーを手に入れ、今でもそのメンバーと4代目の小さなクルーザーで楽しんでいます。強く思って、動けば叶うと思っているところもあって。
でも手に入れたいといっても、自分のものにしようっていうことではなくて、これがあればみんなどんなかなぁ?楽しいんじゃないかな?と思ってのことで。
- 佐藤さんの根底にあるのってそこですよね。みんなが楽しいことっていう。
すごくお節介なんです。私はヨットの操舵はできないまま。料理係を楽しんでます。
みんなと楽しいことができればいい。みんなが喜んで食べてくれればいい。歳を忘れて、ワイワイ話して、食べて飲んで昔ばなしをする。ヨットハーバーでの平和な時間です。
- キャリアも生き方も前に前にで、かなりアクティブなのに、とげとげしさも必死さもなく、ただただ楽しそうな佐藤さん、そんな佐藤さんが思い描いているこれからのことは?
これから先、みんなのサポートができたらいいなと思っています。ボランティアではない。ボランティアという言葉は嫌い。サポーターなんです。勝手連的な。
今までやってきたこと、築いてきた関係でできることはいっぱいあると思っていて。面白いことが広がればいいな。
ここにも新しい風が吹いてきて、ここの良さを感じてくれたらいいなーと。
この取材の場所は、日本料理、イタリア料理、四川料理のお店が入っていたビルをお借りして。
今は閉店してしまいましたが、閉店したというのにとても美しく整えられている場所でした。
そしてこのお店のオーナーが東谷二郎さん。ユーモアがあって、まさしく紳士な人。場所を提供していただいた立場でありながら、すっかりおもてなしを受けてしまいました。
こんな素敵な場所がこのままではもったいない、何か新しいこと、みんなが楽しいことができたらいいねーと帰路につく佐藤さんと私たちでした。